空席が目立つ、北京と河北省張家口を結ぶ高速鉄道の列車内
=7月14日、北京北駅(共同)
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中国の経済発展の勢いを象徴していた〝中国版新幹線〟の高速鉄道網が、中国経済の時限爆弾となるかもしれない。
採算性を無視した路線拡大により、高速鉄道を運営する国有企業、中国国家鉄路集団の負債総額は約120兆円に上る。巨額債務で経営危機に陥った中国不動産大手「中国恒大集団」が抱える負債の3倍近い規模だ。専門家は鉄路集団の巨額負債が重大な金融リスクになるとして、警鐘を鳴らしている。
今年2月に開催された北京冬季五輪では、北京市中心部と同市郊外の延慶区、河北省張家口市崇礼の3会場を結ぶ高速鉄道が整備された。自動運転システムを採用し、最高時速は350キロ。約180キロの距離を50分で結ぶ。総投資額は580億元(約1兆1600億円)を超える。
しかし共同通信が7月中旬に報じたところでは、需要不足のため1日1往復だけの運行となっているという。筆者が高速鉄道の予約サイトで確認したところ、7月下旬から8月上旬にかけては1日5往復が運行されていた。夏の観光シーズンに合わせて増便したのかもしれない。ただそれでも、日本のローカル線より低密度なダイヤだ。しかもほとんどの便でチケットに余裕があった。
すでに五輪開催時に、需要不足の兆しは感じられた。当時は1日十数往復が運行されたが、筆者が利用した際は1両に乗客が数人で、ときには1人ということもあった。コロナ対策のため車両の連結部分を封鎖し、五輪関係者と一般客の接触を厳格に遮断していたが、一般客の姿はほとんど見当たらなかった。
総延長は日本の新幹線の10倍超
中国の高速鉄道は世界トップの総延長4万キロ超を誇る。1999年に河北省と遼寧省を結ぶ路線が着工して以降の20年余りで、日本の新幹線の総延長(約3300キロ)を10倍以上上回るまでに拡大した。
特に2008年のリーマンショック以降は、輸出が低迷し生産過剰となった鉄鋼やセメントを消費するために高速鉄道の路線延伸が加速された。北京と上海・広州を結ぶ〝ドル箱路線〟に刺激され、各地方当局が高速鉄道の誘致合戦を展開。雇用の創出や地方経済の活性化、沿線の不動産開発などを期待したためだが、官僚にとって地域の経済成長は自らの実績となるため、採算度外視の整備計画も少なくなかった。
北京交通大学の趙堅教授は19年、中国のニュースサイト「財新網」に「高速鉄道の『灰色のサイ』を防げ」と題した論評を発表。人々は高速鉄道の、世界に冠たる総延長やスピードばかりに目を向けがちだが、「債務と赤字も世界一」であることに注意を払うべきだと主張した。
灰色のサイとは市場において高い確率で大きな問題を引き起こすと考えられるにも関わらず、軽視されがちな潜在的リスクを指す。巨獣のサイは普段はおとなしいが、暴走を始めると誰も手を付けられない破壊力を持つことから、こうした比喩に使われる。
趙教授は中国の高速鉄道について、一部のドル箱路線以外は輸送能力が大量に遊休状態になっており、深刻な損失を生んでいると指摘する。新疆ウイグル自治区の区都ウルムチと甘粛省の省都蘭州を結ぶ区間(1786キロ)は一日160往復の輸送能力があるにも関わらず、実際は4往復しか運行されておらず「旅客収入だけでは電気代すら賄うことができない」。
趙教授の試算では、高速鉄道のすべての旅客収入を充てても負債の利息支払いが追いつかない状態だという。すでに19年の時点で、借金をして借金を返すという自転車操業になっていた可能性が高い。
稼ぎ頭の路線も低迷
しかも20年1月に新型コロナウイルスが湖北省武漢で感染拡大して以降は、高速鉄道の稼ぎ頭だった路線も収益が低迷。鉄路集団の20年の最終損益は555億元の赤字、21年も498億元の赤字となった。中国メディアによると、21年9月末時点で負債総額は5兆8400億元(約116兆円)に達している。
民間企業の恒大集団とは違い、国策企業である鉄路集団がデフォルト(債務不履行)の危機に陥ることはないだろう。鉄路集団の前身は鉄道行政を担っていた旧鉄道省だ。多くの人々は、最後は政府が巨額債務をなんとかするだろうと考えている。しかし、高速鉄道の建設に投資した地方当局もすでに多額の負債を抱えている。高速鉄道の巨額債務は最終的にインフレなどの「国家的な金融リスクを引き起こすかもしれない」(趙教授)のだ。
さらに高速鉄道の野放図な拡大は、中国の交通システム全体を悪化させる恐れがある。高速鉄道は貨物輸送ができないため、高速鉄道の建設に偏ると貨物輸送の能力低下につながるからだ。しかも鉄路集団は貨物輸送の価格を上げて高速鉄道の赤字を埋めようとしているため、鉄道による貨物輸送のコストが上昇。このため道路輸送を選択する企業が増加して大気汚染が悪化し、社会全体の物流コストも上昇しているという。
それでも延伸は続く
しかし中国当局は、高速鉄道の拡大方針に歯止めをかけるつもりはないようだ。鉄路集団は20年8月に公表した長期計画で、35年までに高速鉄道の総延長を約7万キロまで拡大する方針を示している。
さらに中国政府はコロナ禍で低迷する景気を下支えするため、鉄道建設などのインフラ投資に力を入れる方針だ。国務院(政府)は5月末、鉄路集団が鉄道建設のため新たに3000億元の債権を発行することを認めた。国務院は21年3月、高速鉄道の債務膨張を受けて新路線の建設条件を厳格化する通達を出しているが、これと矛盾した措置だ。債務抑制よりも景気浮揚を優先する姿勢を示したといえる。
中国の急速な高速鉄道網の拡大は、中国経済の勢いを体現していた。インフラ整備のスピード感を著しく欠く日本から見れば学ぶべき点も多いだろう。ただ中国政府が軽視してきた「灰色のサイ」の破壊力は、想像以上のダメージを中国経済にもたらすかもしれない。
筆者:西見由章(産経新聞編集委員、前中国総局長)
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2022年7月27日付産経新聞【中国的核心】を転載しています